高齢者には酷な時代
財布はお札や硬貨を入れるものだが、最近は用途も変わってきている
らしい。
お金というものをあまり持ち歩かなくなっているようで、昔の成金の
ように札束を詰め込むという人もうはいない。
その代わりに持ち歩くようになったのがクレジットカードなどのカー
ドだろう。
今日の新聞に最近の売れ筋の財布の記事が載っていたが、名刺入れと
同サイズのものが流行りらしい。
私の財布はもう20年も前に革工芸店で作ってもらったものだが、流
石に縫い目が切れてきて新調しなければならないと思っていたところ
なので、写真を持っていって同じようなものを作ってもらおうかなど
と思った。
カード入れと名刺入れ兼用の財布があれば一つ持ち歩けばいいだけな
ので便利だと思うのだが、それには使わないカードと名刺の持ち歩き
をやめなければならない。
基本的に1枚のカードで日常の支払いは済ませているので他のカード
は持ち歩く必要はないのだが、ポイントが付いたりすることもあるの
何枚か持ち歩いている。
加えてポイントのみのカードケースと名刺入れもズボンのポケットに
入れている。
考えてみればポケットが膨らんでばみっともないものだろう。
日常の慣習もここ十何年かで随分変わったのは、財布の用途の変化で
も分かる。
日常の慣習は徐々に変わるため意識されず、気が付いたら変わってい
るということが多い。
現在は変化の大きい時代なので、十年一昔という言葉も実感に合わな
くなっているのかもしれない。
財布の中身も5年後には更に変わっているというよりも財布というも
のが無くなっている可能性もある。
森羅万象変わらないものはないというが、人間には変わらないと思っ
ていることも多くあるが、それさえも変わっている。
人生の中途での大きな変化についていくのがやっとという高齢者には
酷な時代が来たものだ。
老人は時代遅れ、骨とう品と馬鹿にされても生きていくしかないので
ある。
偏哲
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